曼珠沙華(彼岸花)/霞城公園
a-DSCF0569
霞城公園は、市街地のほぼ中央に位置し、約35.9haの面積を有する山形城跡の都市公園です。
延文元年(1356)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、現在の城郭は第11代城主最上義光(1546〜1614)が築いたものが原型とされています。本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国有数の規模を持つ輪郭式の平城で、出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ケ城」とも呼ばれていました。現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後、元和八年(1622)に城主となった鳥居忠政により整備されたと伝えられています。
昭和61年に国の史跡指定を受け、平成18年には「日本百名城」に認定され、現在は桜と観光の名所になっています。また、公園内やその近くには、山形市郷土館、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館などの多くの文化施設があります。
http://yamagatakanko.com/spotdetail/?data_id=2304&yc=spot&yp=1
延文元年(1356)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、現在の城郭は第11代城主最上義光(1546〜1614)が築いたものが原型とされています。本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国有数の規模を持つ輪郭式の平城で、出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ケ城」とも呼ばれていました。現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後、元和八年(1622)に城主となった鳥居忠政により整備されたと伝えられています。
昭和61年に国の史跡指定を受け、平成18年には「日本百名城」に認定され、現在は桜と観光の名所になっています。また、公園内やその近くには、山形市郷土館、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館などの多くの文化施設があります。
http://yamagatakanko.com/spotdetail/?data_id=2304&yc=spot&yp=1
テーマ:秋 自然
画像のご利用について(お読みください)
- ■表示写真[長辺1,000px/ウォーターマーク入り]は、フリー素材として個人利用、商用利用を問わず自由にお使いいただけます。
- ■ウォーターマーク部分を消去・削除してのご使用はご遠慮ください。
- ■ウォーターマークなし、オリジナルサイズの写真販売も行っております。
- ■第三者に転売、配布、譲渡、貸与することはできません。
- ■販売を目的とした物品製作へのご利用はご遠慮ください。
- ■公序良俗に反する目的、ポルノや風俗産業、悪徳商法、アダルトサイト、出会い系サイトなどでの使用はご遠慮ください。
- ■「YAMAGATA IMAGES」および撮影者の信用を毀損する利用、誹謗中傷目的、その他不法な用途への利用はご遠慮ください。
- ■写真の著作権は撮影者に帰属します。
<img src="https://www.yamagata-images.jp/archives/001/201901/d4ec92155502fd98825be8bb6f6800a5.jpg" alt="曼珠沙華(彼岸花)/霞城公園|山形市|山形を旅するように楽しむストックフォトサービス「YAMAGATA IMAGES(ヤマガタイメージズ)」">